top of page

言霊とは何か?古事記・万葉集から読み解く日本人の言語観


藤原京跡
写真:筆者撮影「藤原京跡の朝景」

「言霊(ことだま)」という言葉を聞くと、

「口にした言葉には力があり、言ったことが現実になる」

という意味を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

「ありがとうと言えば、よいことが起こる」 「悪い言葉を使うと、悪いことを引き寄せる」

現代では、こうした意味で「言霊」が語られることもあります。

けれども、古い文献をたどっていくと、もう少し複雑で、興味深い世界が見えてきます。

実は、『古事記』には「言霊」という言葉そのものは出てきません。

では、なぜ『古事記』と「言霊」は結びつけて語られてきたのでしょうか。

この記事では、『万葉集』に残された「言霊」の用例を確認したうえで、宗教学者・岸根敏幸氏の研究論文「古事記神話と言霊信仰」を手がかりに、『古事記』の神話に描かれた


「ことばと現実との関係」


を考えてみます。


ここで大切にしたいのは、

古典そのものに書かれていること。

研究者がそこから読み取ったこと。

そして、私自身がそこから考えること。


この三つを、できるだけ混同しないことです。


言霊とは、そもそも何か


「言霊」とは、一般に、ことばに霊的な力が宿るという古代の信仰・観念を指します。


國學院大學の「万葉神事語辞典」では、「言霊」を、言葉に精霊が宿るという信仰として説明しています。


ただし、

「古代の日本人は、誰がどんな言葉を口にしても、そのとおりの現実が起きると信じていた」

とまで単純化することはできません。


古い文献に現れることばの働きは、祈り、予祝、占い、神意、誓いなど、その場面や発話する人と深く結びついているからです。


まず、「言霊」という語そのものが残されている『万葉集』を見てみましょう。



『万葉集』に残る三つの「言霊」


『万葉集』では、「言霊」という語が三例確認されています。


中でもよく知られているのが、

「言霊の幸はふ国」

という表現です。


山上憶良が遣唐使を送り出す歌の中で、大和の国について詠んだものです。


ほかにも、

「言霊の八十の衢」

「言霊の助くる国」

という表現があります。


興味深いのは、これらが単に、

「前向きな言葉を言えば幸運になる」

という話ではないことです。

遣唐使の航海の無事を願う歌であったり、夕暮れの辻で聞こえてくる言葉によって吉凶を占う「夕占」と結びついていたりします。


そこから見えてくるのは、

祈る。予祝する。神意を知る。人の無事を願う。

そうした営みと、ことばとが密接につながっていた世界です。



『古事記』には「言霊」という言葉がない


ここで、少し意外なことがあります。

712年に成立した『古事記』は、日本に現存する最古の書物ですが、本文に「言霊」という語そのものが記されているわけではありません。


ではなぜ、「古事記と言霊」というテーマが成立するのでしょうか。


この問いを考えるうえで、とても興味深いのが、福岡大学の宗教学者・岸根敏幸氏が2017年に発表した二本の論文です。


「古事記神話と言霊信仰(前編)―『詔り別き』と『詔り直し』、および、ウケヒ―」

そして、

「古事記神話と言霊信仰(後編)―他者に幸禍をもたらす発言、および、『言挙げ』―」

です。


岸根氏が注目するのは、「言霊」という単語があるかどうかだけではありません。


『古事記』の物語の中で、発せられたことばと、その後の出来事がどのように関係しているか。


そこから、古事記神話と言霊信仰との関係を検討しています。

ここが、この研究の面白いところです。



神が語ったことばが、世界のあり方を定める


分かりやすい例が、イザナキとイザナミが黄泉国で決別する場面です。


イザナミは、イザナキの国の人々を一日に千人殺すという趣旨の言葉を発します。

それに対してイザナキは、

それならば自分は一日に千五百の産屋を建てようと応じます。


そして『古事記』は、このやり取りを人間の死と誕生が繰り返される世界の起源として語ります。


岸根氏は、こうした発言を単なる未来予測や状況説明としてではなく、発言された内容が、その後の世界のあり方と結びついていくものとして、言霊信仰の観点から考察しています。


もちろん、これは現代科学の意味で、

「言葉を発すれば物理的な現実が変わる」

という話ではありません。


神話の世界では、

神が何を語ったのかが、世界がなぜそのようになっているのかという説明そのものになる。


ことばが単なる情報ではなく、世界の秩序と深く結びついて描かれているのです。



「うけひ」――ことばと出来事によって真実を確かめる


アマテラスとスサノヲの物語には、「うけひ」という行為が登場します。

スサノヲが高天原へやってきたとき、アマテラスはその目的を疑います。

そこでスサノヲは、自らの心が潔白であることを示すため、「うけひ」を行います。


ここで重要なのは、

「願ったことが叶う」のが、うけひではない

ということです。


あらかじめ一定の条件を言葉によって定め、その後に生じた結果から、神意や真実を判断する。


ことばと行為と結果が、一つのまとまりをつくっています。


「言ったら現実になった」

という単純な構図ではなく、


ことばによって条件を定め、現れた出来事を通して真実を知ろうとする。


古代のことば観を考えるうえで、とても興味深い場面です。


「詔り直し」――ことばは、出来事の意味を変える


同じ物語には、

「詔り直し(のりなおし)」

という興味深い場面もあります。


うけひの後、スサノヲは高天原でさまざまな乱行を行います。

田の畔を壊したり、溝を埋めたり、神聖な場所を汚したりします。

ところがアマテラスは、それらをすぐには悪事として断罪しません。

スサノヲには何か善い意図があったのだろうと、その行為を別の意味に解釈しようとします。


ここで注意したいのは、

アマテラスのことばによって、起きた出来事そのものが消えてしまうわけではない

ということです。


実際、スサノヲの乱行はその後さらに激しくなります。

それでもこの場面は、


起きた出来事を、どのようなことばによって意味づけるのか


ということの重要性を感じさせます。

同じ出来事でも、どのようなことばを与えるかによって、その受け止め方は変わる。

これは古代神話だけの話ではなく、現代を生きる私たちにも通じる問いなのではないでしょうか。



「言挙げ」――なぜ、ことばを発することを慎んだのか


もう一つ重要なのが、

「言挙げ(ことあげ)」

です。


実は、『古事記』本文に「言挙げ」という語そのものが登場するわけではありません。


一方、『万葉集』には、大和を、

「言挙げせぬ国」

と表現した歌があります。


「言挙げ」とは、自らの意志などを、ことさらに言葉として明確に表すことを指します。


岸根氏はこの視点から、『古事記』のヤマトタケルの物語を検討しています。


ヤマトタケルが伊吹山へ向かったとき、大きな白い猪に出会います。

それを山の神の使者だと思ったヤマトタケルは、帰りに殺してやろうという趣旨の言葉を発します。

しかし、その猪こそ山の神でした。

その後、ヤマトタケルは神の力によって激しい氷雨に襲われ、深く傷ついていきます。

ここで描かれているのは、

「良いことを言えば、良いことが起こる」

という世界とはずいぶん違います。


むしろ、

ことばには重みがあるからこそ、何を、誰に対して、どのような心で言うのかが問われる。

そういう世界です。



「言霊の幸はふ国」と「言挙げせぬ国」


ここまで見てくると、興味深い二つの表現が浮かび上がります。


一方では、

「言霊の幸はふ国」

といい、

もう一方では、

「言挙げせぬ国」

という。


言葉に力がある国なのに、なぜ言葉を発することを慎むのでしょう。


私は、この二つを一緒に考えるところに、日本の古代のことば観を読み解く一つの手がかりがあるように感じています。


ことばに力があると考えるからこそ、むやみに口にしない。


何を言うのか。どのような心で言うのか。誰に向けて言うのか。

口から出たことばを、軽く扱わない。


「言霊」を単なる願望実現の方法として理解するより、こちらの方がずっと深い「ことばとの付き合い方」が見えてくるのではないでしょうか。


なお、これは古典そのものに書かれている結論ではありません。

史料と研究を踏まえた、私自身の一つの考察です。



「言霊」は科学的に証明されているのか


ここは、明確に線を引いておきたいところです。


言葉が感情や認知、人間関係、行動などに影響することは、現代の心理学や言語学でもさまざまな形で研究されています。


しかし、それと、

古代の「言霊信仰」

とは別の問題です。


「心理学で言葉の作用が研究されている」

からといって、

「古代の言霊信仰が科学的に証明された」

ことにはなりません。


岸根氏の研究も、言霊を自然科学によって実証しようとした研究ではありません。

『古事記』という神話を読み解き、その中にどのような言語観や信仰を見ることができるのかを考察した、宗教学の研究です。


この違いは、大切にしたいと思います。



やまとことば音義学とは、どうつながるのか


そして、ここからは私自身の立場です。


私は林英臣氏から、やまとことばの一音一音に意味を見いだし、その音義から『古事記』や名前を読み解く「音義学」を学んできました。

現在行っている「やまとことば姓名鑑定」も、その体系を基礎としています。


ただし、

岸根氏の研究によって、やまとことば音義学が学術的に証明されたということではありません。


同じように、

『古事記』に言霊的な発話が描かれているから、姓名鑑定の仕組みが科学的に証明されるわけでもありません。


ここは、分けて考える必要があると考えます。


それでも私がこの研究に惹かれるのは、『古事記』や『万葉集』の中に、

ことばというものを、現代の私たちが考える以上に重く受け止めていた世界

が見えてくるからです。


何を言うか。

どう名乗るか。

誰を何と呼ぶか。

どのようなことばによって、ものごとを区別し、意味づけるか。


そうした問いを、古代の物語は私たちに投げかけてきます。


そして現代の私たちにも、

生まれてから何度も呼ばれ、自分自身でも名乗り続けている「名前」

という、とても身近なことばがあります。


名前の一音一音を手がかりに、自分自身をあらためて見つめてみる。

それが、私が「やまとことば姓名鑑定」を通して行っていることです。


古代の言霊信仰が、姓名鑑定を「証明している」のではありません。


けれど、

ことばを軽く扱わず、ことばを通して自分や世界を見つめようとする姿勢。

そこには、現代の私たちにも受け取ることのできるものがあるのではないかと思っています。



言霊とは、「良いことを言えば叶う」という話だけではない


改めて、

「言霊とは何か」。


一般的に説明すれば、

ことばに宿ると考えられた霊的な力

ということになるでしょう。


けれども、『万葉集』や『古事記』、そして岸根氏の研究をたどってみると、その背後にはもっと豊かな世界が見えてきます。


祈る。予祝する。占う。誓う。出来事を意味づける。未来について語る。そして、ときには、ことばにすることそのものを慎む。


そこには、

ことばは、口から出た瞬間に消えてしまう単なる音ではない

という感覚が流れています。


だから私は、「言霊」を、

「ポジティブなことを言えば願いが叶う」

という話にしたいとは思いません。

自分は、何を語っているのか。

誰に、どのようなことばを向けているのか。

どのようなことばで、自分自身を理解しているのか。

千年以上前の日本人のことば観を知ることは、

いま自分が使っている「ことば」を、もう一度見つめ直すこと

にもつながるのではないでしょうか。

そして、その中には毎日のように呼ばれ、自分自身でも名乗り続けている、

「名前」

もあります。


ことばを知ることから、自分を知ることへ。


私がやまとことばを学び、伝え続けている理由も、そこにあります。


よくある質問


言霊とは簡単に言うと何ですか?

一般には、ことばに霊的な力が宿ると考えられた古代の信仰・観念を指します。ただし、古代の言霊を「言ったことが何でも現実になる」という意味だけで理解するのは、単純化しすぎる可能性があります。

『古事記』に「言霊」という言葉は出てきますか?

「言霊」という語そのものが『古事記』本文に現れるわけではありません。一方、『万葉集』には「言霊」の用例が三例確認されています。ただし『古事記』には、発言とその後の出来事が密接に結びついて描かれる場面があり、それらと言霊信仰との関係が研究されています。

「言霊の幸はふ国」とはどういう意味ですか?

『万葉集』に見られる表現です。遣唐使を送り出す歌の中で、大和の国について「言霊の幸はふ国」と詠まれています。「幸はふ」は、幸いをもたらす、栄えさせるという意味を持つ言葉です。

言霊は科学的に証明されていますか?

古代の「言霊」は、信仰やことば観に関わる概念であり、自然科学上の理論ではありません。言葉が心理や認知、行動に及ぼす影響を研究する現代の学問領域はありますが、それによって古代の言霊信仰そのものが科学的に証明されたとはいえません。


参考文献・参照資料

  • 岸根敏幸「古事記神話と言霊信仰(前編)―『詔り別き』と『詔り直し』、および、ウケヒ―」『福岡大学人文論叢』49巻1号、2017年、413–453頁

  • 岸根敏幸「古事記神話と言霊信仰(後編)―他者に幸禍をもたらす発言、および、『言挙げ』―」『福岡大学人文論叢』49巻3号、2017年、871–927頁

  • 國學院大學デジタル・ミュージアム「万葉神事語辞典 ことだま」

  • 國學院大學デジタル・ミュージアム「万葉神事語辞典 ことあげ」

  • 國學院大學 古典文化学事業『古事記』関連資料・注釈

あわせて読みたい

やまとことばとは:日本語の音から、ことばの根を見つめる

やまとことば姓名鑑定とは:名前の音から、自分自身を見つめる

コメント


bottom of page