「ミナカ」とは何か――「ナカ」「マナカ」の奥にある、やまとことばの「中心」
- 山本 幸臣

- 5 日前
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「中心」と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。
円の真ん中にある一点。部屋の中央。あるいは、組織の中心となる人。
私たちはふつう、「中心」を全体の真ん中にある場所として考えます。
けれど、やまとことばの世界観から「中心」を見つめていくと、もう少し違った姿が現れてきます。
その鍵となる言葉が、
「ミナカ」
です。
「ナカ」があり、「マナカ」があり、そのさらに奥に「ミナカ」がある。
そして「ミナカ」とは、ただ真ん中にある一点ではなく、そこから全体がまとまり、つながり、働いていく根本的な中心として捉えられます。
なぜ、そのように捉えられるのでしょう。
今回は、
ミ・ナ・カ
という一音一音の響きから、「ミナカ」という言葉の奥にある世界観をたどってみます。
『古事記』は「ミナカ」から始まる
「ミナカ」を考えるうえで、まず見ておきたいのが『古事記』です。
その冒頭、天地が初めて現れたとき、高天原に最初に成った神として記されるのが、
天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)
です。
名前のなかに、
「御中(ミナカ)」
があります。
やまとことばの音義では、この御神名に注目し、万物には中心があり、そこから全体が成立していくという世界観を読み解いていきます。
原資料では、中心があることで一つの存在としてまとまり、そこから森羅万象が展開していくという「中心」の原理が出発点になっています。
ただし、これは『古事記』研究で確定している唯一の解釈ということではありません。
ここから紹介するのは、やまとことばの一音一音から『古事記』と日本の世界観を読み解く、音義による一つの見方です。
では、「ミナカ」とは何なのでしょう。
まずは言葉そのものを見てみましょう。
「ナカ」「マナカ」「ミナカ」は何が違う?
ここには、とても興味深い三つの言葉があります。
ナカ、マナカ、ミナカ
似ていますが、音義ではそれぞれを区別します。
◾️ナカ――表からは見えない「内部」
箱を一つ想像してみてください。
外から見れば、その形は分かります。
けれども、中に何が入っているのかは、開けてみなければ分かりません。
表に対する内部。
それが、
「ナカ」
です。
◾️マナカ――ナカの中央
では、その「ナカ」のさらに中央はどこでしょう。
それが、
「マナカ」
です。
現在でも「真ん中」と言います。
ナカという広がりがあり、その空間的な中央にあたるところ。
これが「マナカ」です。
◾️ミナカ――そのものを成り立たせる本源的な中心
そして、さらにもう一段深い中心として捉えるのが、
「ミナカ」
です。
原資料では、
表面に対する内部を「ナカ」、そのナカのさらに中央を「マナカ」、そして絶対的な中心を「ミナカ」
と整理されています。
つまり、
ナカ=内部
マナカ=内部の中央
ミナカ=そのものの本源にかかわる中心
です。
では、なぜ「マ」ではなく「ミ」になると、そこまで意味が深くなるのでしょうか。
ここで一音一音を見ていきます。
「ミ・ナ・カ」を音から読み解く
やまとことばの音義では、
ミ=本質・御霊
ナ=調和
カ=疑問・幽玄
と読み解きます。
一つずつ見ていきましょう。
「ミ」――そのものを成り立たせる「本質」
「ミ」は、本質に関わる音として読み解きます。
身(み)。実(み)。
さらに、御霊(みたま)。
私たちの身近な日本語にも「ミ」という響きがあります。
音義では「ミ」を、単なる「中身」というよりも、
そのものが、そのものとして存在する根本にあるもの
として捉えます。
だから、「ナカ」の中央を表す「マナカ」から、さらに本質へと入っていくと、
マナカ → ミナカ
となる。
「ミナカ」の「ミ」は、その中心が単なる位置ではなく、存在そのものの本質にかかわる中心であることを示している、と読み解くのです。
「ナ」――やわらかく、つながり、調和する
「ナ」は、調和を表す音として読み解きます。
たとえば、
和やか(なごやか)滑らか(なめらか)並ぶ(ならぶ)鞣す(なめす)
など。
そこには、ばらばらだったものが整ったり、異なるもの同士がなじんだりするイメージがあります。
発声にも特徴があります。
「ナ」と声に出してみると、舌先を歯茎のあたりに軽く触れさせ、鼻にも息を通しながら発音します。
強く破裂させる音ではありません。
鼻へ息が抜ける、やわらかな響きです。
やまとことばの音義では、この発声の感覚と言葉の用例を重ねながら、「ナ」にやさしくつながり、調和していく働きを見ます。
この「調和」が、「ミナカ」という中心を考えるうえで、後ほど非常に重要になります。
「カ」――奥深く、まだはっきり見えないもの
「カ」は、疑問、あるいは幽玄を表す音として読み解きます。
「そうですか?」
「本当ですか?」
日本語では、「か」を添えることで問いになります。
さらに、
影(かげ)風(かぜ)隠れる(かくれる)霞む(かすむ)空(から)
などにも「カ」の響きがあります。
そこに何かはある。
けれども、すべてが明瞭に見えているわけではない。
そんな奥深さ、捉えきれなさを「幽玄」と表現します。
一方で、カ行は発音するときに息をいったんせき止めてから放つ破裂音でもあります。
そこから、
硬さ。
金属的な響き。
輝き。
そして、その輝きの奥に感じる深さ。
というように意味が展開していく。
一音に一つの意味を機械的に当てはめるのではなく、発声の性質と、その音を含む言葉をたどりながら意味の連なりを見る。
ここにも、やまとことばの音義の特徴があります。
なぜ「ナカ」が「内部」になるのか
ここで、ナ + カ を重ねてみましょう。
ナは、調和して、まとまっている。
カは、奥深く、まだはっきりとは見えない。
外から見れば、一つのものとしてまとまっている。
けれども、その内側がどうなっているのかは、入ってみなければ分からない。
その、
まとまってはいるけれど、表からは見えない内部
を、「ナカ」と読む。
そして、ナカの中央が、「マナカ」。
さらに、その存在を成り立たせる本質的な中心が、「ミナカ」。
こうして、
ナカ → マナカ → ミナカ
という、中心へ中心へと入っていく言葉の構造が見えてきます。
ここは、「ミナカ」という言葉を理解するうえで最も面白いところの一つです。
「ミナカ」は、場所だけではない
そして、ここから話が大きく変わります。
ミナカとは、単なる「中央の一点」ではありません。
『大和言葉の世界観』では「中心」を、
物全体の中枢となる位置であり、かつ、その位置を占有する主体
として捉えています。
つまり、中心=場所だけではない。
そこに、中心として働く主体がある。
たとえば、オーケストラを考えてみましょう。
何十人もの演奏者が集まっていても、それぞれが勝手なテンポで演奏すれば、一つの音楽にはなりません。
指揮者という中心があり、さまざまな楽器がそれぞれの役割を果たしながら、一つの音楽になっていく。
全員が同じ音を出すわけではありません。
ヴァイオリンはヴァイオリン。
フルートはフルート。
打楽器は打楽器。
違うものが違うまま、一つの全体をつくる。
「ミナカ」の世界観では、中心をそのような統一を生み出すところとして捉えていきます。
中心があるから、全体が生まれる
さらに興味深いのが、「中心は、あとから生まれるのではない」という考え方です。
普通は、人が集まる。
組織ができる。
その中からリーダーが選ばれる。
だから中心ができる。
と考えます。
ところが「ミナカ」の世界観では、逆から考えます。
まず中心がある。
そこから関係が生まれ、全体が形づくられていく。
原資料では、これを、「先在」と表現しています。
中心があり、そこから縦のつながりが生まれ、それぞれの位置が定まり、さらに横のつながりが生まれる。
縦と横。
日本語には、「経緯(けいい)」という言葉があります。
「経」は縦糸。
「緯」は横糸。
布が縦糸と横糸によって織られていくように、さまざまな関係が重なって一つの全体が生まれる。
その起点に「ミナカ」がある、と考えるのです。
「調和」とは、みんなが同じになることではない
ここでもう一度、「ナ」に戻ります。
ナは「調和」でした。
では、調和とは何でしょう。
全員が同じ意見になることでしょうか。
同じ性質になることでしょうか。
「ミナカ」の世界観では、そうではありません。
部分には、それぞれ異なる性質があります。
違うからこそ、役割も違います。
そして違いがあれば、ときには対立も生まれます。
けれども、部分だけを見るのではなく、中心へと視点を戻して全体を見る。
すると、異なるものが、それぞれの違いを保ちながら、一つの全体を成り立たせているという姿が見えてきます。
原資料では、これを、
「対立調和」
と表現しています。
部分を見れば対立していても、全体から見れば調和している。
つまり、調和とは、違いをなくすことではない。
違いを持ったまま、一つにつながること。
「ミナカ」という言葉のなかに「ナ=調和」が含まれていることが、ここで大きな意味を持ってきます。
身体を見れば、「ミナカ」が少し見えてくる
少し身近なところから考えてみましょう。
私たちの身体には、
脳。心臓。肺。胃。手。足。目。耳。
さまざまな部分があります。
どれも違います。
心臓と肺は同じではありません。
目と耳も同じではありません。
けれど、私たちはそれらを別々の生命とは考えません。
一人の人間です。
異なるものが異なる働きをしながら、一つの生命としてまとまっている。
原資料では、自然や生命体そのものに、こうした中心と統一の原理を見ることができると考えます。
ここから見えてくるのは、
統一=同一ではない
ということです。
みんなが同じになることではない。
それぞれが違ったまま、一つの全体として生きている。
「ミナカ」の世界観が示そうとしているのは、そんな中心と全体の関係です。
私たち自身にも「ミナカ」はあるだろうか
ここから少し、現代を生きる私たち自身へ視点を移してみます。
これは原資料そのものの説明ではなく、「ミナカ」という世界観から考えてみたいことです。
私たちは、たくさんの関係のなかで生きています。
家族。
仕事。
友人。
地域。
社会。
そして今は、SNSを開けば無数の価値観が流れ込んできます。
周囲に合わせているうちに、
「自分は、本当は何を大切にしていたのだろう」
と分からなくなることもあります。
反対に、「自分らしく生きる」ことを、自分の考えだけを押し通すことだと考えれば、人とのつながりを失うこともあります。
けれど「ミナカ」という中心の考え方から見ると、
自分を持つことと、人とつながることは、本来、反対ではない
とも考えられます。
中心は、周囲から孤立しているから中心なのではありません。
中心から全体へつながりが生まれ、
違うものが違うまま関係し合い、
一つの全体をつくっていく。
だとすれば、
自分の「ミナカ」に立つとは、自分だけを見ることではなく、自分が何を大切にし、そこから周囲とどうつながっていくのかを知ること
なのだと言えるのではないでしょうか。かもしれません。
「アマ」と「ミナカ」がつながる
前回の記事では、「アマ」を取り上げました。
(前回記事→[「アマ」とは何か])
そして、やまとことばの音義では、「アマ」を宇宙・時空の広がりとして読み解くという話をしました。
そして今回見てきたのが、
「ミナカ」=中心。
二つを重ねてみますと、アマ・ノ・ミナカ。
『古事記』の冒頭に現れる、
天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)
です。
さらに御神名には、
「ヌシ」
が続きます。
アマ。
ミナカ。
ヌシ。
一音ずつ意味をたどったあとで、この御神名をもう一度見ると、
「天之御中主神とは何を表しているのだろう」
という問いが、最初とは少し違って見えてきます。
なぜ『古事記』は、天地が開かれた最初に、この神を置いたのでしょう。
「宇宙」。
「中心」。
そして「主」。
次の記事では、この三つをつなぎながら、
「アマノミナカヌシ」とは何か
を、御神名の音から読み解いていきます。
名前を一音ずつ読むということ
そして、「ミナカ」を
ミ・ナ・カ
と読んできた方法を私たちの名前にも当てはめてみるとどうなるでしょう。
私たち一人ひとりの名前も、音からできています。
「ミ」を持つ名前。
「ナ」を持つ名前。
「カ」を持つ名前。
もちろん、それ以外の音にも、それぞれの意味があります。
そのひとつ一つの音、そして、音の連なりからお名前を読み解いていくのが
やまとことば姓名鑑定です。
鑑定の中では、
「ミがあるから、この人はこういう人」
と、一音だけで人を判断することではありません。
今回「カ」で見たように、一つの音にも意味の広がりがあります。
さらに、
どの音から始まり、
どの音へつながり、
どのような順序で一つの名前を形づくっているのか。
一音ずつ読み、
最後にもう一度、
名前全体へ戻る。
やまとことば姓名鑑定で名前を読み解くときにも、大切にしている考え方です。
一音から全体へ。
部分から中心へ。
そして、また全体を見る。
考えてみれば、これ自体も「ミナカ」の世界観と、どこか響き合っています。
あなたの「ミナカ」は、何でしょう
ナカ。
マナカ。
ミナカ。
似ているようで、少しずつ違う三つの言葉。
その違いをたどっていくと、
「中心」というものが、単なる真ん中の一点ではなく、
そのものを一つの存在として成り立たせ、違うもの同士をつなぎ、全体として働かせているところ
として見えてきます。
そして最後に、少しだけ自分自身へ問いを戻してみてください。
自分が、本当に大切にしているものは何だろう。
迷ったとき、最後に戻ってくる場所はどこだろう。
人とつながりながら、自分を見失わないための中心は何だろう。
あなたにとっての、
「ミナカ」
は、どこにあるでしょうか。
古いことばを知ることが、今を生きる自分を見ることにつながる。
やまとことばの一音一音には、そんな世界への入口があります。
典拠と、この「読みもの」の立場について
本記事における「ミナカ」の音義と中心観は、河戸博詞『大和言葉の世界観 ミナカ(中心)』および、その内容をもとにした林英臣「大和言葉国学の世界観 」を主な典拠としています。原資料では「中心」「統一」「根本・分派」「対立調和」「輪廓中枢」「自由」「現神」へと、さらに広い思想体系が展開されています。
本記事では、そのすべてをそのまま紹介するのではなく、「ミナカ」というやまとことばと、その中心観を理解するための部分を抽出・再構成して考察しています。
また、ここで紹介した一音一音の意味は、現代言語学において確定した語源を示すものではなく、やまとことばの音義による読み解きです。
史料や一般的な研究から確認できることと、音義による読み解き、そしてそこから生まれる現代的な考察をできる限り区別しながら、やまとことばの世界を探究していきます。


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