名前をつけると、世界の見え方は変わる?――心理臨床の「命名」から考える、名前の力
- 山本 幸臣

- 2025年4月18日
- 読了時間: 8分
更新日:8月19日

私たちは、生まれたときから「名前」のある世界に生きています。
人にも名前がある。
動物にも、植物にも、土地にも名前がある。
そして、まだ名前のないものに出会うと、
「これは何?」
と尋ねます。
子どもの頃、誰もが何度も繰り返した問いです。
「あれは犬だよ」
「これは桜だよ」
「ここは海だよ」
名前を知ると、それまで「よくわからない何か」だったものが、急に輪郭を持ち始めます。
そして一度名前を知ると、次に出会ったときには、
「あ、犬だ」
「桜が咲いている」
と、その存在を見つけられるようになる。
では、私たちにとって「名前をつける」とは、いったい何をしているのでしょうか。
この問いについて、心理臨床という少し意外なところから考察した興味深い論文があります。
心理学・心理臨床では「命名」をどう考えるのか
今回取り上げたのは、井芹聖文氏の論文、
「命名機序と心理臨床」
です。
2013年に『京都大学大学院教育学研究科紀要』第59号に掲載された研究です。
論文の冒頭では、小さな子どもが未知のものに出会うたび、
「これは何?」
と尋ねる場面が取り上げられています。
名前を教えてもらうことで、子どもは世界についての知識を増やし、その対象との関わりをさらに広げ、深めていく。
つまり、
名前を知ることは、そのものとの関係を始めることでもある。
論文は、こうした「名前を与える」という行為を「命名」として捉え、その仕組みや作用を心理臨床の視点から考察しています。
ここで私がなるほどと思ったのは、
「名前をつければ、わかるようになる」
という単純な話ではないことです。
命名には、私たちが普段あまり意識していない、二つの側面があるのです。
名前をつけることで、世界に輪郭が生まれる
たとえば、名前のわからない植物を見つけたとします。
それまでは、
「道端に咲いている、小さな白い花」
だったものが、
名前を知った瞬間から、
「あ、この花だ」
と認識できるようになる。
名前を知れば、調べることもできます。
誰かに伝えることもできます。
同じ名前を知っている人と、その花について話すこともできます。
名前が与えられることで、曖昧だったものに輪郭が生まれ、私たちとその対象との間に新しい関係が始まる。
論文が扱う命名には、こうした生産的・創造的な側面があります。
これは、心理臨床の場でも重要になります。
自分の中にある、うまく説明できない感覚。
苦しさ。
不安。
これまで言葉にできなかった経験。
それに何らかの名前が与えられることで、
「ああ、自分が感じていたのは、こういうことだったのか」
と理解への入口が生まれることがあります。
名前によって、混沌としていたものが見えるようになる。
これは確かに、命名の持つ大きな力の一つです。
しかし、話はそこで終わりません。
名前をつけた瞬間、見えなくなるものもある
ここが、この論文を読んでとても興味深かったところです。
名前をつけることには、創造的な側面がある一方で、対象を切り分け、限定してしまう側面もあります。
論文では命名の作用について、生産的・創造的であると同時に、暴力的・破壊的にもなり得る「切断」という性質が検討されています。
これは、私たちの日常にもあります。
たとえば、
「あの人は内向的な人だ」
と名前をつける。
すると、それまで複雑だった一人の人間が、
「内向的な人」
という枠の中で見えるようになります。
確かに、その人を理解する助けになるかもしれません。
しかし、その人が人前で大胆に行動したり、親しい人の前ではよく話したりする姿が、見えにくくなることもあります。
「優等生」
「問題児」
「リーダー」
「繊細な人」
「頑固な人」。
こうした言葉も同じです。
名前をつけることで、理解しやすくなる。
その一方で、
名前をつけたことで、「その人はそういう人だ」と決めてしまう。
名前は、見えるようにしてくれると同時に、
名前の外側にあるものを、見えにくくしてしまうこともあるのです。
「名づける側」と「名づけられる側」
もう一つ、この論文で重要だと感じたのが、
「誰が、誰に名前を与えるのか」
という問題です。
命名には、
名づける側と、名づけられる側
が存在します。
論文では、これを主体と対象の関係として捉えています。
これは姓名鑑定をする立場にいる私にとって、非常に考えさせられる問題でした。
なぜなら姓名鑑定でも、
「あなたは○○な人です」
「あなたの使命は○○です」
「あなたはこう生きるべきです」
と言った瞬間に、鑑定する側がその人を「名づける側」になり得るからです。
本人がまだ言葉にしていなかった何かに輪郭を与え、
「そうかもしれない」
と気づくきっかけになることもある。
しかし同時に、
その人を、鑑定する側が作った言葉の中に閉じ込めてしまう危険もある。
これは、やまとことば姓名鑑定を行ううえでも、忘れてはいけないことだと思っています。
名前は「答え」なのか、それとも「問い」なのか
以前の私は、名前を読み解くことについて、
「名前の中に、その人の本当の姿が隠されている」
という方向から説明することが多くありました。
けれど、研究を読み、実際にさまざまな方のお名前を読み解いていく中で、現在は少し違う捉え方をしています。
名前は、その人についての完成された答えではない。
むしろ、
自分自身を見つめるための「問い」になり得るもの
なのではないか。
たとえば、お名前の音から、
「本質を大切にする」
という読みが見えてきたとします。
そこで、
「あなたは本質を大切にする人です」
と伝えるのではなく、
「あなた自身は、人生の中で何を『本質的なもの』として大切にしてきましたか?」
と問い返してみる。
すると、
仕事の選び方。
人との付き合い方。
家族との関係。
これまで迷ってきたこと。
本人の経験の中から、さまざまなものが出てくることがあります。
音義が「正解」を与えたのではありません。
名前という入口から、自分の人生を語り直すための言葉が生まれた。
私は、そこに姓名鑑定の大切な可能性があると考えています。
やまとことば姓名鑑定も、「名づけ」の危うさから自由ではない
やまとことば姓名鑑定では、名前をひらがなの一音一音にひらき、それぞれの音義や、音の連なりを読み解いていきます。
ただし、
名前だけで、その人の性格・才能・運命・使命を断定するものではありません。
ここは、現在とても大切にしているところです。
同じ名前を持つ人でも、
育った環境も、
出会った人も、
経験してきた出来事も、
選択してきた人生も違います。
人間は、名前だけで説明できるほど単純な存在ではありません。
だからこそ、
「この音があるから、あなたはこういう人です」
ではなく、
「この名前から、こんな読み方ができます。あなた自身は、どう感じますか?」
というところから対話を始めたい。
これは、今回取り上げた論文が「やまとことば姓名鑑定の正しさを証明している」という意味ではありません。
「命名機序と心理臨床」は、姓名鑑定の有効性を検証した研究ではありません。論文が直接扱っているのは、命名という行為の構造と作用、そして心理臨床においてそれをどう捉えるかという問題です。
それでも私は、この研究から、
「人を言葉によって理解するとは、どういうことなのか」
という、姓名鑑定にも通じる重要な問いを受け取りました。
「あなたは○○な人」ではなく、「あなたはどう思う?」
名前を読み解いていて、相手から、
「当たっています」
と言っていただくことがあります。
もちろん、そう言っていただけるのは嬉しいことです。
けれど、現在の私がそれ以上に大切にしたいのは、
「そう言われてみると、思い当たることがあります」
という言葉です。
なぜなら、その先には本人自身の物語があるからです。
「子どもの頃から、なぜかこういうことが気になっていました」
「仕事ではいつも、こういう役割になるんです」
「自分では欠点だと思っていたけれど、見方を変えると違うのかもしれません」
そうやって、自分の経験を自分の言葉で語り始める。
姓名鑑定をする側の言葉より、
本人から出てきた言葉の方が、ずっと大切です。
名前から何かを「当てる」のではなく、
名前をきっかけに、その人自身が自分について語り始める。
私は、やまとことば姓名鑑定を、そんな時間にしていきたいと考えています。
名前を知ることは、その人を知ることなのか
名前をつけることで、世界は見えやすくなります。
しかし同時に、その名前によって見えなくなるものもあります。
だから、
名前を知ることと、その人を知ることは、同じではありません。
けれど、名前を入口にして、
「この人はどんな人なのだろう」
「私は何を大切にして生きてきたのだろう」
と問い始めることはできます。
名前は、人を閉じ込めるための箱にもなれば、
その人をもっと知ろうとするための扉にもなる。
その違いを生むのは、
名前そのものではなく、私たちが名前をどう扱うか
なのかもしれません。
生まれてから、何度も何度も呼ばれてきた自分の名前。
その名前を、
「私とはこういう人間だ」
と決めるためではなく、
「私は、どんな人間なのだろう」
と問い直すために眺めてみる。
そ
こから見えてくるものがあるかもしれません。
参考文献
井芹聖文「命名機序と心理臨床」『京都大学大学院教育学研究科紀要』第59号、2013年、429–441頁。
やまとことば姓名鑑定について
やまとことば姓名鑑定では、お名前を構成する一音一音の音義や、その連なりを手がかりに、ご本人の経験と照らし合わせながら、自分自身を見つめていきます。
名前から性格や未来を一方的に決めるのではなく、
名前を、自分を知るための「答え」ではなく「問い」としてひらいていく。
そんな時間を大切にしています。

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