「あぢはう」とは、味を感じることだけ?――やまとことばから「味わう」をひらく
更新日:9月7日

食べることと味わうことは、同じでしょうか。
お腹が空いているとき、急いで食べれば、食事はすぐに終わります。
けれど、ひと口を口に含み、香りを感じ、舌触りを感じ、噛むほどに変わっていく味を感じ、飲み込んだあとに残る余韻まで感じる。
同じものを食べても、そこにはまったく違う時間があります。
日本語には、「味わう」という言葉があります。
そして私たちは、食べ物だけではなく、
「音楽を味わう」「言葉を味わう」「余韻を味わう」
さらには、「人生を味わう」とまで言います。
なぜ、舌で感じるはずの「味」が、
人生そのものを受け取る言葉にまで広がったのでしょう。
今回は、歴史的仮名遣いの「あぢはふ」を確認したうえで、「味わう」という響きをやまとことばの音義からひらいてみます。
「味わう」は、食べることだけを意味しない
まず、現在の日本語として「味わう」がどのような意味を持っているのかを確認してみましょう。
食べ物の味を十分に感じ取る
『デジタル大辞泉』では、「味わう」の第一の意味として、食べ物を口に入れ、そのうまみを十分に感じ取ること、が挙げられています。
単に、食べるのではありません。
口の中にあるものを、十分に感じ取る。
ここが「味わう」という言葉の特徴です。 (コトバンク)
物事の意味や趣を深く感じ取る
一方で、「味わう」は、食べ物以外の世界にも使われます。
辞書には、物事のおもしろみや含まれている意味を深く考え、感じ取ること、
という意味もあります。 (コトバンク)
だから私たちは、詩を味わう、絵画を味わう、音楽を味わう、言葉を味わう、と言います。
目で見る。耳で聞く。文字を読む。
それだけではなく、そこに含まれているものを、自分の中でゆっくりと受け止める。
その行為も「味わう」なのです。
経験そのものを「味わう」
さらに辞書では、身にしみて経験することも「味わう」とされています。 (コトバンク)
人生の喜びを味わう。苦しみを味わう。孤独を味わう。成功を味わう。
食べ物とはまったく関係ありません。
それでも私たちは、経験を深く受け入れたとき、「味わった」と言います。
こうして意味を並べてみると、「味わう」は、
単に刺激を受けることではなく、その中にあるものを十分に感じ取る言葉
として広がっていることがわかります。
古典にも残る「味わう」の広がり
この意味の広がりは、現代になって生まれたものではありません。
『伊勢物語』では、歌を「味わう」
『精選版 日本国語大辞典』には、『伊勢物語』の用例として、
「腹にあぢはひて」
という表現が書かれています。
歌をただ読むのではなく、
その趣を心にとどめ、深く受け取る。
すでに平安時代の文学の中で、「あぢはふ」は食べ物を超えた意味で使われていたというわけです。 (コトバンク)
また「味わい」という名詞についても、『源氏物語』には、この世の「あぢはひ」という表現が記録されています。 (コトバンク)
「味わう」という言葉は、古くから舌の感覚だけに閉じた言葉ではなかったのです。
「あぢはふ」という古いかたち
現在は、味わう(あじわう)と書きます。
しかし、歴史的仮名遣いでは、あぢはふです。
国立国会図書館の古語辞典資料でも、「あぢはふ【味はふ】」という形が確認できます。 (国立国会図書館サーチ(NDLサーチ))
本記事では、歴史的な表記を説明するときには「あぢはふ」、音義としてその響きを見つめるときには、これまでのシリーズにならって「あぢはう」と表記します。

味は、舌だけで感じているのではない
ここで、少し現代の味覚研究にも目を向けてみましょう。
普段、「味は舌で感じる」と思っている方も多いと思います。
それは間違いではありませんが、私たちが食事をするときに感じている「おいしさ」は、舌だけで生まれているわけでもありません。
基本の味は、少なくとも五つある
人の味覚では、甘味・酸味・苦味・塩味・うま味の少なくとも5つが「基本味」として広く認められています。
食べ物から溶け出した分子が口や喉の味覚細胞を刺激し、その情報が脳へ送られます。 (国立聴覚言語研究所)
「味わい」は、香りや食感まで含んでいる
しかし、実際に一つの料理を食べたときの感覚は、もっと複雑です。
香り、温度、舌触り、歯ごたえ、辛さ、冷たさ、そして、口の中での変化。
さらに、食べ物を噛むと口の中から香りの成分が鼻へ抜けていきます。
こうした情報が組み合わさって、私たちは一つの風味(flavor)を感じています。 (国立聴覚言語研究所)
考えてみれば、「みる」「かぐ」「ふれる」という別々の感覚も、
食べるという行為の中では互いにつながっています。
料理を見る、香りをかぐ、舌に触れる、噛む、温度を感じる、そして、味わう。
「あぢはう」は、五感の中でも、いくつもの感覚が一つに集まってくる場所とも言えそうです。

やまとことばの音義から「あぢはう」をひらく
ここからは、辞書や古典から確認できる歴史的な語源とは区別して、
やまとことばの音義
から「あぢはう」という響きを見ていきます。
本サイトで用いる音義では、
「あぢはう」を、
持続的に広がる味を、舌に這わせる
と読み解きます。
この読みを、
あ・ぢ・はふ
という三つの働きに分けて見てみましょう。
「あ」――広がる
「あ」は、口を大きく開いて発する母音です。
音義では、
開く・広がる
という方向を読みます。
「あ」という音を出してみると、
口腔が開き、
声が外へ向かって広がっていきます。
閉じ込める音ではありません。
外へ、周囲へ広がっていく。
「あぢはう」の最初には、まずこの、
広がる
という働きがあります。
「ぢ」――続く・連なる
次の「ぢ」は、音義では「ち」の響きと重ねながら、
継続するもの、連なっていくもの
という方向を読みます。
「千(ち)」「血(ち)」「地(ち)」などに響く「ち」から、
途切れず続くこと、
つながっていくこと。
積み重なっていくこと。
という働きを見ます。
これは歴史的な語源関係を示すものではありません。
同じ音に現れる響きを重ねながら、その方向性を読むのが音義です。
「あ」の広がりに、
「ぢ」の持続が加わる。
すると、
広がりながら、しばらく続いていくもの
という姿が見えてきます。
「はふ」――這わせる
そして、はふ。
歴史的な日本語にも、「這う」は「はふ」と書かれます。
現在の「這う」です。 (コトバンク)
這うものは、一か所に留まりません。
表面に沿いながら、少しずつ移動していきます。
音義では、「あぢはふ」の「はふ」を、味を舌の上に這わせるという働きとして読みます。
ここでも、「味わう」という言葉が歴史的に「這う」から成立した、ということまでは断定できませんので、歴史的語源とは区別した音義による読みであることをお断りしておきます。
「あ・ぢ・はふ」を重ねる
三つを重ねてみましょう。
あ――広がる。
ぢ――続く、連なる。
はふ――這わせる。
そこから、
持続的に広がる味を、舌に這わせる
という「あぢはう」の姿が現れます。
これは、とても具体的な身体感覚ではないでしょうか。
口に入れた瞬間、
すぐに飲み込むのではありません。
舌にのせる。
転がす。
噛む。
広がる。
変化する。
そして、飲み込んだあとにも余韻が残る。
味がどのように広がり、どのように消えていくのかまで感じ取る。
それが、音義から見る「あぢはう」です。

辞書の「味わう」と、音義の「あぢはう」
ここで、最初に確認した辞書の意味へ戻ってみましょう。
辞書の「味わう」には、
食物のおいしさを十分に感じる。
物事の趣や意味を深く感じ取る。
経験を身にしみて受け取る。
という意味があります。 (コトバンク)
これらが音義から生まれたと証明できるわけではありません。
しかし、音義の、
持続的に広がるものを、しばらく自分の中に置き、感じ取る
という姿と並べてみると、興味深い重なりがあります。
食べ物、言葉、音楽、経験。
一瞬で通過させてしまえば、「味わう」ことはできません。
少しとどめて、変化を感じ、余韻まで受け止める。
そこに、「味わう」という言葉の奥行きがあるように思います。
日本の食文化と「素材の味」
「あぢはう」という言葉を考えるとき、日本の食文化との関係も興味深いものがあります。
「素材の持ち味を尊重する」という和食
農林水産省は、和食の特徴の一つとして、
多様で新鮮な食材と、その持ち味を尊重すること
を挙げています。
また、旬の食材を使い、素材本来の味わいを生かす調理法が発達してきたことも、和食の特徴として説明されています。 (農林水産省)
これは、何か強い味を外から加えて、素材を別の味に変えてしまう、ということとは少し違います。
素材の中に、すでにどんな味があるのか。
その持ち味を引き出し、生かすことが、和食の特徴の一つだといえます。
だしは、素材の味を消すためではない
和食で大切にされてきた「だし」も興味深い存在です。
昆布、鰹節、椎茸など、さまざまな素材から「うま味」を引き出し、それによって他の食材の持ち味を生かしていく。
農林水産省も、だしやうま味を活用しながら、比較的少ない調味料で素材の持ち味を生かすことを和食の特徴として紹介しています。 (農林水産省)
研究でも、だしは日本の食文化における代表的なうま味の源として論じられています。 (PubMed)
日本料理がすべて薄味という意味ではありません。
地域によっても、料理によっても、味付けは大きく違います。
ここで注目したいのは、素材そのものが持っている味を消さずに受け取ろうとする発想です。
「薄い味」とは、味がないことではない
「薄味」という言葉を、
単に、味が弱いとか、物足りないという意味で考える必要はないのかもしれません。
濃い味の中では、一つ一つの素材の微妙な違いが隠れてしまうことがあります。
一方、強い調味で覆わなければ、野菜の甘さやだしのうま味、魚の脂、米の香り、はたまた
季節による違いといった小さな差が見えやすくなります。
つまり、
刺激を増やすのではなく、感じ取る側の解像度を上げる。
「あぢはう」という言葉を音義から眺めると、そんな方向が見えてきます。
より強く感じるのではなく、より細やかに感じる
私たちは、ときには、「もっと味が欲しい」と思うことがあります。
もっと甘く、辛く、濃く、そして、もっと刺激的に。
けれど、「味わう」という行為は、刺激を強くすることと同じではありません。
むしろ、
そこにすでにあるものを、どこまで細やかに受け取れるか。
という行為です。
一口目と二口目は違う。
噛む前と噛んだあとでは違う。
温かいときと冷めたときでも違う。
飲み込んだあとにも味は残る。
「あぢはう」とは、
その変化を急いで結論にせず、
しばらく身体の中で感じてみること
なのかもしれません。
「人生を味わう」とは何だろう
ここまで来ると、なぜ日本語で、
「人生を味わう」
と言うのかも、今までとは違って見えてくるのではないでしょうか。
人生には、
甘いことだけがあるわけではありません。
苦い経験、酸っぱい経験、辛い思い、思い通りにならないこと、寂しい思い、
嬉しい思い、懐かしさ・・・ そうした経験を、すぐに、「良かった」「悪かった」と決めてしまうのではなく、
しばらく自分の中に置いてみることによって、最初とは違う意味が見えてくることがあります。
苦いと思っていた経験が、後になって自分を支えるものになることもあります。
だから私たちは、
経験を単に「する」のではなく、「味わう」と言うのかもしれません。
「余韻を味わう」という言葉も同じです。
出来事が終わったあとに残るものまで、急いで消さない。
その響きが消えていくところまで受け取る。
食べ物の味にも、人間の経験にも使われる「味わう」という言葉。
その意味の広がりは、この言葉のとても面白いところです。
私たちは、本当に「味わって」いるだろうか
食事をしながら、別のものを見たり、考え事をしたりしながら、急いで食べる。
次のひと口を入れ、すぐに飲み込み、また次を食べる。
それでも、お腹はいっぱいになります。
でも、今日食べたものを、どれだけ覚えているでしょう。
最初のひと口は、どんな味だったでしょう。
噛むと、どう変わったでしょう。
香りは?温度は?舌触りは?
飲み込んだあとには、何が残ったでしょう。
もしかすると、
私たちは食べていても、味わっていないことがあるのかもしれません。
「みる」「きく」「かぐ」「あぢはう」を並べてみる
ここまで、「ことばをひらく」では、
みる。
きく。
かぐ。
と、五感に関わる言葉を見てきました。
音義から見ると、
「みる」
本質を、動きの中に捉える。
「きく」
世界から届くものを、強く、はっきりと受け取る。
「かぐ」
まだ目には見えないものを、しっかりと受け取る。
そして、
「あぢはう」
持続的に広がる味を、舌に這わせて受け取る。
少しずつ違いますが、そこには、共通していることもあります。
それは、五感が、単なる外界の情報を取り込む「センサー」としてではなく、
自分の身体を使って、世界と関わる行為
として表現されていることです。
見る。聞く。嗅ぐ。味わう。
私たちは、
世界をただただ受信しているのではありません。
身体を通して、
世界と関わっています。
「あぢはう」とは、そこにあるものを十分に受け取ること
最初の問いへ戻ります。
食べることと、味わうことは、同じでしょうか。
食べるだけなら、飲み込めば終わります。
しかし、味わうためには、時間が必要です。
舌の上で広がるものを感じる。
変化を感じる。香りを感じる。食感を感じる。
そして、消えていく余韻まで受け取る。
音義では、
あ――広がる。
ぢ――続く、連なる。
はふ――這わせる。
と読みます。
そこから見えてくるのは、
持続的に広がるものを、舌に這わせながら、十分に受け取る。
という「あぢはう」の姿です。
そして、この言葉は、
食べ物だけに使われるものではありません。
言葉を味わう。
音楽を味わう。
余韻を味わう。
人生を味わう。
何かをすぐに消費して次へ進むのではなく、
そこにあるものを、少し自分の中にとどめてみる。
それが、
「あぢはう」という言葉が私たちに教えてくれる、一つの世界との関わり方なのかもしれません。
このシリーズ「ことばをひらく」について
「ことばをひらく」では、一つのやまとことばを取り上げ、まず辞書や古典から確認できる意味や用例を見つめます。
そのうえで、歴史的な語源とは区別しながら、一音一音の響きや身体感覚を、やまとことばの音義から読み解きます。
歴史的に何が確認できるのか。
音義からは何が見えてくるのか。
その二つを混同せず、それでも両方を重ねながら、一つの言葉の奥にある世界を探っていきます。
音義について
本サイトで紹介する音義の読み解きは、林英臣氏から学んだやまとことばの音義体系を基礎としています。辞書・古典から確認できる歴史的な語源とは区別し、一つの読み解きとして紹介しています。
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→ 「みる」の記事
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参考にした主な資料
辞書・古典資料
『精選版 日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』「味わう」飲食物の味を十分に感じ取る意味から、物事の意義・趣を深く感じ取る、経験を身にしみて受け取るという意味の広がりを参照。 (コトバンク)
『精選版 日本国語大辞典』「味わい」「あぢはひ」の古い用例、『日本書紀』『古本説話集』『源氏物語』などに見られる用法を参照。 (コトバンク)
『全文全訳古語辞典』「あぢはふ【味はふ】」歴史的な語形「あぢはふ」の確認に参照。 (国立国会図書館サーチ(NDLサーチ))
『精選版 日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』「這う」歴史的仮名遣い「はふ」と、「這う」の意味・用例を確認。音義上の読みとは区別して参照。 (コトバンク)
味覚・風味に関する資料
National Institute on Deafness and Other Communication Disorders (NIDCD), “Taste Disorders.”基本味、味覚細胞、味覚と嗅覚・温度・食感などが組み合わさって風味が形成される仕組みを確認。 (国立聴覚言語研究所)
Chen, Y., Liu, Y., & Feng, X. (2023). “Food Perception: Taste, Smell and Flavour.” Foods, 12(19), 3628.味覚・嗅覚・香りなどを含む多感覚的な食品知覚について参照。 (PubMed Central (PMC))
日本の食文化に関する資料
農林水産省「和食の特徴――多彩で新鮮な食材とその持ち味の尊重」素材本来の味わいを生かす調理と、だし・うま味によって素材の持ち味を引き出すという和食の特徴について参照。 (農林水産省)
UNESCO, “Washoku, traditional dietary cultures of the Japanese.”自然への尊重、地域の自然から得られる多様な食材など、和食を食に関する文化的実践として捉える際に参照。 (ICH UNESCO)
Ninomiya, K. (2016). “Food Science of Dashi and Umami Taste.”だしとうま味、日本料理におけるその位置付けを確認するために参照。 (PubMed)




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