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「きく」とは、耳で聞くことだけ? ―「き・く」を一音ずつひらく

更新日:2 日前


人の話を聞く。

音楽を聴く。

道を聞く。

言うことを聞く。

香りを聞く。

酒を利く。

そして、

薬が効く。


すべて声に出せば、「きく」です。



「きく」とは?


日本語の「きく」は、耳で音を受け取るだけでなく、尋ねる、言葉を受け入れる、香りや酒を識別するといった意味にも広がっています。一方、やまとことばの音義では、「き・く」を「強く、はっきりと受け取る」働きとして読み解きます。本記事では、歴史的な語義と音義による解釈を区別しながら、その関係を見ていきます。


自然の音|大和言葉「きく」


「きく」は、耳で聞くだけの言葉ではない


まず辞書を開いてみましょう。

『デジタル大辞泉』『精選版 日本国語大辞典』を見ると、「聞く」には非常に多くの意味があります。

大きく整理すると、

  • 音や声を耳に感じ取る

  • 注意して耳を傾ける

  • 聞いた内容を知る

  • 人の意見や要求を受け入れる

  • 人に尋ねる

  • 是非を判断する

  • 香りをかいで識別する

  • 酒を味わって違いを判断する

などです。


つまり日本語の「きく」は、単なる

「耳に音が入る」

という行為だけを指してきたわけではありません。

聞いたものを、

知る。受け入れる。判断する。

ところまで含んでいます。


ここが「みる」とよく似ています。

「みる」も目に映すだけではなく、判断する、診断する、世話をするといったところまで意味を広げていました。

そして「きく」もまた、感覚器官だけでは説明しきれない言葉なのです。



『古事記』に残る「きく」


「きく」は、『古事記』にも登場します。

『精選版 日本国語大辞典』が古い例として挙げているのは、『古事記』下巻の歌謡です。

そこでは、

大和の国で雁が卵を産むとは「まだ聞かない」

という意味で「岐加(きか)」と記されています。

ここで重要なのは、「音そのものを耳にした」というより、

ある事柄について情報を受け取った

という意味になっていることです。


「そんな話は聞いたことがない」

という、現代の私たちの使い方とほとんど変わりません。

音が耳に入る。

その音が言葉として理解される。

そして、その内容が自分の中に入ってくる。

すでに「きく」には、

外から届いたものを受け取る

という働きが見えます。




『万葉集』では、「きく」が「受け入れる」になる


さらに興味深い用例があります。


『万葉集』巻三・三六九では、「きく」が、

人の言葉に従う、承知する

という意味で使われています。


『精選版 日本国語大辞典』も、

人の言葉に従う。承知する。聞き入れる。

という「聞く」の意味の古い例として、この歌を挙げています。


音を耳にしただけなら、

「聞こえた」

で終わります。

しかし、

「言うことを聞く」

となると、その言葉を自分の中に受け入れ、何らかの行動へつなげるところまで含みます。


現代でも、

「何度言っても、あの子は言うことを聞かない」

と言います。


これは、

「音声が耳に届いていない」

という意味ではありません。

音は届いている。

言葉も理解している。

けれど、

受け入れてはいない。

だから「聞いていない」と表現する。

日本語の「きく」にとって、これはかなり重要なところだと思います。



「聞く」は、尋ねることでもある


さらに、

駅までの道を聞く。

と言います。


ここでは自分が音を受け取る前に、まず相手に問いかけています。

それでも日本語では「問う」だけでなく、

「聞く」

と言います。

辞書でも「聞く」には、

答えを得ようとして人に尋ねる。考えや気持ちを問う。

という意味が記載されています。

改めて考えてみると、とても面白い表現ではないでしょうか。


「聞く」という行為には、

自分が一方的に何かを発するのではなく、

相手から返ってくるものを受け取ろうとする姿勢

が前提になっています。


問いかける。

そして、答えを受け取る。

「きく」という言葉には、最初から相手との関係が含まれているようにも見えます。



耳を使わないのに、「香を聞く」


ここからはさらに不思議になります。

日本語では昔から、

香を聞く

と言います。

「香道」で香りを鑑賞するときにも使われる表現です。

辞書にも、「聞く」の意味として、

においのよしあしや種類を鼻で感じ取る

という用法が記録されています。


『名語記』(1275年)にも、この使い方についての記述があります。

鼻で感じるのに、

「きく」。


さらに、

酒をきく。

という使い方もあります。

酒を少量味わって、品質や種類を判断する「利き酒」は、かつて「聞き酒」「利酒」とも書かれました。辞書では1692年の俳諧に用例が確認されています。

舌で味わうのに、

やはり、

「きく」。


ここまでくると、「きく」という言葉を単純に

耳で音を感じること

と定義するだけでは、その広がりを捉えきれません。

むしろ、

何かを受けとめ、その違いや中身を識別する

ところまで「きく」に含まれていることが見えてきます。



「聞く、聴く、効く、利く」は何が違う?


ここで思い浮かぶ言葉があります。

薬が効く

酒が効く

気が利く

腕が利く

これらもすべて「きく」です。

『精選版 日本国語大辞典』では「利く・効く」を、

能力や働きが十分に発揮される効能や働きが現れる

という意味を持つ別の語として扱っています。

文化庁の常用漢字表でも、

聞く・聴く

と、

効く・利く

は別の漢字表記として整理されています。

したがって、

「聞く」と「効く」は同じ音だから、歴史的にも同じ語源である

とは言えません。

ここは区別する必要があるでしょう。


表記

大まかな意味

聞く

音を受ける・知る・尋ねる・受け入れる

話を聞く、道を聞く、香を聞く

聴く

意識して耳を傾ける

音楽を聴く

利く

能力・機能が十分働く

気が利く、目が利く

効く

効果・効能が現れる

薬が効く


それでも、音義という視点から見ると、

「きく」という同じ響きが、何かをしっかり受け取ることと、何かの働きがはっきり現れることの双方に使われている

ことは、考えてみたくなる現象です。


ここから先は、音義の世界です。



やまとことばの音義から「き・く」をひらく


ここからは、やまとことばの音義による読み解きです。

現代言語学において、

「き」には強く明確にする意味があり、「く」には組む・括る意味がある

と認定されているわけではありません。


また、

「き+く」という二つの音義から歴史的に「聞く」という語が成立した

と主張するものでもありません。

私が学んできた音義の体系から、

き・く

という響きを見つめてみます。



「き」――強く、はっきりする


まず、「」の音です。


「き」の子音 /k/ は、舌の後ろ側を軟口蓋に接触させ、呼気をいったんせき止めてから開放する音です。

音声学では /k/ は無声軟口蓋破裂音に分類されます。


私が学んできた音義では、

きつい、厳しい、木(き)

などの言葉を手がかりに、「き」に、


強い・厳しい・しっかりしている

という方向を読みます。


曖昧なままではなく、

輪郭が立つ。

はっきりする。

しっかりしたものとして現れる。

そんな響きです。

ここでいう「強い」は、乱暴であるという意味ではありません。

ぼんやりしたものを、はっきりと捉える強さ。

そのように考えます。



「く」――閉じ、組み、括る


続いて、「」の音です。

「く」も /k/ から始まる音なので、「き」と同様に、舌の奥で息をいったん閉じてから放ちます。


音義では、

組む、括る

などの言葉を手がかりに、

組み合わせる・ひとつに括る

という働きを読みます。


何かが外から届いたとき、

ただ通り抜けさせるのではなく、

いったん自分の中に留める。

そこにあるものと組み合わせる。

ばらばらなものを、ひとつのまとまりとして受け取る。

そんな方向です。


つまり、

音義では、この「いったん閉じる」発声の感覚と、「組む」「括る」といった言葉を重ねながら、「組み合わせる・ひとつに括る」という働きを読み取るということになります。



「き・く」を重ねる


では、

き・く

を重ねてみましょう。


「き」は、

強く、はっきりとする。


「く」は、

受け取ったものを組み、括り、自分の中に留める。


すると「きく」という響きから、

強く、はっきりと受け取る

という読みが現れます。


もう少し踏み込んで言ってみれば、

聞くとは、強く受け入れること。強く組むこと。

と表現できるでしょう。


この「強く」は、

力づくで受け入れるという意味ではありません。


聞こえてきたものを、

聞き流さない。

曖昧なまま通り過ぎさせない。

一度、自分の中に受け止める。

そして、

「これは何だろう」「この人は何を言おうとしているのだろう」

と、自分の中に組み込んでいく。

それが、音義から読む「きく」の姿です。




辞書の「きく」と、音義の「きく」


ここで、先ほど確認した歴史的な「きく」をもう一度眺めてみます。


音を耳にする。

話の内容を知る。

人の言葉を受け入れる。

相手に尋ねる。

香りを識別する。

酒の味を判断する。


これらがすべて、音義によって生まれた意味だと証明できるわけではありません。

しかし並べてみると、


ただ刺激を受けるだけではなく、受け取ったものを識別し、自分の中で確かめる

という方向性を見出すことができます。


それが、

き=はっきりと

く=受け止め、組む

という音義の読みと、興味深く響き合います。


史実を音義に合わせるのではありません。

音義を、語源の証明に使うのでもありません。


別々の方法から同じ言葉を眺めたとき、どこに重なりが見えるのか。

「ことばをひらく」では、そこを大切にしています。



「聞く」と「聴く」は何が違う?


現代では、「聞く」と、「聴く」を書き分けることがあります。


辞書では「聞く」は音や声を耳に受けるという広い意味に使われる一方、「聴く」は、

注意して耳にとめる、耳を傾ける場合に用いられると説明されています。


つまり、

「雨の音が聞こえた」

と、

「相手の話をじっくり聴いた」

では、同じ「きく」でも姿勢が少し違います。


「聴く」には、


自分から耳を向ける

という意識があります。


しかし、音義から考えるなら、そのさらに手前に、

届いたものを、どれだけ自分の中へ受け入れるのか

という問いが見えてきます。


耳を傾けていても、

自分の考えを返すことばかり考えていたら、本当に「きいて」いるのでしょうか。


逆に、ほんの一言でも、

その人の言葉をいったん自分の内側へしっかり受け止めたなら、

それは深い「きく」なのかもしれません。



「きく」から「みる」へ


「きく」について、私が林英臣先生から学んだとき、一つ印象に残った考え方があります。


それは、「きく」と「みる」の順序です。

たとえば、森の中を歩いているとします。

まだ姿は見えない。

けれど、

カサッ。

という音がする。

まず私たちは、きく。

そして、「何だろう?」と思います。

その方向へ目を向ける。

鳥が飛び立つ。

そこで初めて、みる。


もちろん、すべての認識が必ず「聞く→見る」の順になるという意味ではありません。

けれど、姿が見えないところから何かが届く場面では、


きく=まず何かを受け取る

みる=そのものの本質や動きを捉える


という流れがあります。


前回の記事で「みる」(→ 「『みる』とは何か?――「み・る」を一音ずつひらく」)を、音義から、

本質を、動きの中に捉える

と読み解きました。


それに対して「きく」は、

世界から届いたものを、まずしっかり受け取る

ということ。


二つを並べると、

受け取ることと、見極めること。

感覚の働きが一つの流れとして見えてきます。



日本人は、何を「きいて」きたのか


古典に残る、日本人が「きいて」きた自然の音


古典に目を向けると、日本の文学には自然の音が繰り返し現れます。

『万葉集』には、ほととぎすの声を「きく」歌があります。


そして『古今和歌集』の仮名序には、

花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば

という有名な一節があります。

鶯。

蛙。

ほととぎす。

虫。

雨。

風。

川の流れ。


こうした音は、単なる背景音ではなく、歌や物語の中に入り、日本人が季節や自然を感じ取る手がかりにもなってきました。


少なくとも古典文学には、

自然の音へ耳を澄ませ、それを言葉として残した長い文化

があることが確認できます。



自然の音


「きく」という感覚を整えるものとして、

  • 虫の音

  • せせらぎ

  • 静寂

  • 邦楽器の音

などが挙げられます。


大切なのは

音を情報として消費するのではなく、音そのものに耳を向ける

ことだと思います。


雨が降っている。

「雨だ」と理解して終わるのではなく、

屋根に落ちる音。

葉に当たる音。

遠くで響く音。

次第に弱くなる音。

その変化まで「きいて」みる。

すると、同じ雨でも、聞こえてくるものはずいぶん違います。



尺八と自然


「音楽を聴く」というと、私たちはふつう、流れている曲そのものに耳を向けます。

けれども、音楽によって、その場にすでにあった音まで聞こえてくることがあるとしたら――。


文学紹介者の頭木弘樹さんは、宮古島で暮らしていたときの、興味深い体験を書いています。

周囲では、虫たちが盛んに鳴いていました。

そこでクラシック音楽をかけてみると、虫の声と音楽とがぶつかるように感じられ、うまく聴くことができなかった。ところが尺八をかけてみると、不思議なことに、虫の声と一緒に聴くことができたといいます。


箏や琵琶、能楽、雅楽などの純邦楽も同じでした。

この体験だけから、

「邦楽器は科学的に自然音と調和し、西洋楽器は調和しない」

と一般化することはできません。


けれども頭木さんは、この不思議な体験について考える中で、作曲家・武満徹の音楽論に出会います。



風が竹藪を吹き抜けるような音


武満徹氏は「さわりについて」という文章の中で、日本の音について考察しています。

「さわり」とは、三味線や琵琶などで、あえて少し雑音を含むような響きを生み出す仕組みです。


澄み切った一つの音だけを取り出すのではなく、擦れや揺らぎ、倍音などを含んだ複雑な音を、そのまま音の豊かさとして生かす。


武満氏は、そこに日本の音の特徴の一つを見ていました。


その文章には、ある尺八の名人の話が登場します。

その人が演奏で目指していたのは、人間が磨き上げた「完璧な美音」ではありません。

古びた竹藪を風が吹き抜けたとき、竹が自然に鳴るような音でした。

楽器の音を、自然から切り離して美しくするのではない。

自然の中に、もう一度音を返していく。

そんな音のあり方です。



良い演奏をすると、「すき焼きの音」が聞こえる


さらに印象的な逸話があります。


武満氏がその尺八奏者とすき焼きを囲んでいたとき、その人が尺八を演奏しました。

演奏を終えると、奏者は武満氏に、

すき焼きが「ぐつぐつ」と煮える音が、よく聞こえただろう、と尋ねたといいます。

そして、それがよい演奏ができた証なのだ、という趣旨のことを語ったのです。


不思議な話です。

ふつうなら、すばらしい演奏とは、他の音が耳に入らなくなるほど人を引き込むものだと考えそうです。

けれども、ここでは逆です。

尺八がよく鳴れば鳴るほど、尺八以外の音まで聞こえてくる。


音楽が自然や生活の音を押しのけるのではなく、その場にある音を生かす。

もともと聞こえていたはずなのに、聞いていなかった音を、もう一度こちらの耳に返してくれる。


そう考えると、宮古島で頭木さんが体験したことも、少し違って見えてきます。

尺八が虫の声を「消さなかった」のではありません。

もしかすると、尺八と虫の声を、一つの場所にある音として一緒に「きく」ことができた

のかもしれません。



「強く、はっきりと受け取る」とは、どういうことだろう


ここで改めて、講義で示された「キク」という言葉に戻ってみたいと思います。

林英臣先生は、「キク」について、「強く、はっきりと音を受け取る」と説明しています。


この言葉だけを見ると、「強く、はっきりと」というのは、大きな音を聞くことや、一つの音に意識を集中することのようにも思えます。


けれども、武満徹が語った尺八の話を重ねてみると、もう一つの「きき方」が見えてきます。


尺八の音に集中するあまり、すき焼きの煮える音が聞こえなくなるのではない。

むしろ、よい尺八の音によって、それまで背景に退いていた「ぐつぐつ」という音まで、くっきりと耳に入ってくる。

宮古島の虫の声も同じです。

尺八だけを聞いて虫の声を消してしまうのではなく、尺八が鳴ることで、虫の声もまた、その場所を構成する一つの音として感じられる。


そう考えると、

「強く、はっきりと受け取る」とは、聞きたい一つの音だけを強く捉えることではないのかもしれません。


音そのものだけではなく、その音がどこから生まれ、何と響き合い、どのような場の中に存在しているのか。

そこまで含めて、曖昧にせず受け取っていく。


そんな「きく」の姿も考えることができます。

これは林先生の講義そのものにあった説明ではなく、武満徹の音楽論と重ねて考えた、本稿なりの一つの考察です。


けれども、「きく」という行為を、単なる聴覚の働きからもう一歩深く考えるとき、大切な示唆を与えてくれるように思います。


一つの音を強く聞くのではなく、その音によって、世界がよりはっきりと聞こえてくる。

もし「キク」がそのような受け取り方まで含み得るとすれば、私たちの耳は、思っている以上に世界へ開かれているのかもしれません。



「きく」とは、世界との関係を受け取ること


ここまで考えてくると、「きく」という行為は、単に一つの音を正確に捉えることだけではないように思えてきます。

私たちが実際に生きている世界では、音はいつも、何かとの関わりの中で生まれています。


鳥の声には、風や木々のざわめきがある。人の声には、息遣いや間、その場の空気がある。森に入れば、葉擦れ、水音、虫の声、遠くの鳥の声が重なり合い、一つの風景をつくっています。

私たちは普段、その中から必要な音だけを選んで聞いています。


けれども、ときには耳を少し広く開いてみる。

すると、一つの音だけを追っていたときには気づかなかったものが、立ち現れてきます。


その音が、何とともにあるのか。どこから生まれ、何と響き合っているのか。


そこまで受け取ろうとするとき、「きく」は、音そのものを捉えることから、音を通して世界との関係を受け取ることへと広がっていきます。


これは、人の話を「きく」ときにも同じかもしれません。

言葉だけを追うのではなく、声の調子や沈黙、言葉と言葉の間、その人が何を伝えようとしているのかにも耳を澄ませる。


同じ「聞いた」という行為でも、受け取るものの深さは大きく違います。

宮古島の虫の声と尺八、そして武満徹氏が語った「すき焼きの音」の逸話が教えてくれるのは、音楽の違いだけではありません。

「きく」とは、自分が聞きたいものだけを取り出すことではなく、そこにあるものとの関わりにまで耳を開いていくこと。

そう考えると、「強く、はっきりと音を受け取る」という「キク」の姿も、少し豊かに見えてきます。


それは、一つの音だけを強くつかまえることではなく、その音を通して、そこにある世界をより深く受け取ることなのかもしれません。



自然の音を「きく」ことは、心身にも影響するのか


では、自然の音を聞くことが本当に人の心身に影響するのでしょうか。

この点については、現代の研究があります。


2024年に公表された自然音とストレスに関する系統的レビュー・メタ分析では、自然音への曝露は、静かな環境と比較して、心拍数・血圧・呼吸数など一部の生理指標でストレス低減に有利な結果が報告されました。ただし、主観的ストレスなど有意差が確認されなかった指標もあり、研究結果にはばらつきがあります。


別の2024年のメタ分析でも、自然音への曝露と不安の低下や一部の生理反応との関連が報告されていますが、研究手法の違いや異質性も指摘されています。


ですから、

虫の音やせせらぎを聞けば治療になる

とまでは言えるわけではありません。

それでも、

自然の音へ意識的に耳を向けることが、ストレスや心身の状態にどう関わるのか

は、実際に研究されているテーマです。

そして何より、

スマートフォンや機械音に囲まれた生活の中で、一度立ち止まり、

雨や風や虫の声に耳を澄ませる。

それだけでも、

普段とは違う感覚の使い方になります。



私たちは本当に「きいて」いるだろうか


現代の私たちは、一日中何かを聞いています。

音楽。

動画。

ニュース。

通知音。

会議。

人の話。


けれど、

聞こえていることと、「きいている」ことは同じでしょうか。


誰かが話しているとき、

次に自分が何を言うかばかり考えている。

音楽を流しながら、別の画面を見ている。


鳥の声がしても、気づかない。


音は耳に入っていても、

自分の中には入っていないことがあります。


音義から「きく」を、

強く、はっきりと受け取る

と読むなら、


本当に「きく」とは、

たくさんの音を取り込むことではありません。


一つの音。

一つの言葉。

一つの気配。


それを、いったん自分の中に受け止めることなのかもしれません。



人の話を「きく」


これは人間関係にもつながります。

相手が話している。

その言葉を文字通りに理解するだけなら、耳が働けばできます。

しかし、なぜこの人はこの言葉を選んだのか。

言葉の後ろに、どんな感情があるのか。

何を本当に伝えたいのか。

そこまで受け取ろうとすると、「きく」という行為は変わります。

すぐ評価しない。

すぐ反論しない。

すぐ答えを出さない。


まず一度、

受け取る。


そして、そこから「みる」。

相手の中にあるものを、その人の変化や動きの中で見つめてみる。

前回の「みる」と今回の「きく」は、ここでもつながります。



世界の音をきく


雨は、いつも降っています。

風も吹いています。

鳥も鳴いています。

人も、何かを伝えています。


けれど、それが自分に届くかどうかは、

こちらが「きこう」としているか

によって変わるのかもしれません。


「きく」。


たった二音の言葉です。

辞書をひらくと、

耳にする。

知る。

受け入れる。

従う。

尋ねる。

判断する。

香りを識別する。

酒を味わう。

という広い世界が現れます。


そして音義からは、

き――強く、はっきりと。

く――受け止め、組み、括る。

という働きを読みます。

それを重ねると、

世界から届いてくるものを、強く、はっきりと受け取る。

そんな「きく」の姿が見えてきます。


人の声をきく。

自然の音をきく。

自分の内側の声をきく。

聞こえているものの中から、

何を本当に受け取るのか。

それもまた、私たちが世界と関わるための大切な営みなのだと思います。




このシリーズ「ことばをひらく」について


「ことばをひらく」では、一つのやまとことばを取り上げ、まず辞書や古典から確認できる意味と歴史を見つめます。

そのうえで、歴史的な語源とは区別しながら、一音一音をやまとことばの音義から読み解きます。

歴史的に何が確認できるのか。音義からは何が見えてくるのか。

その二つを混同せず、それでも両方に耳を澄ませながら、一つの言葉の奥にある世界を探っていきます。




参考にした主な資料


辞書・国語資料

『精選版 日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』「聞く」「きく」が、音や声を耳に受けることだけでなく、内容を知る・言葉を受け入れる・尋ねる・判断する・香りをかぐ・酒を味わって判別するといった意味を持つこと、また『古事記』『万葉集』『古今和歌集』などに見られる用例を参照。


『精選版 日本国語大辞典』「聞き酒」/『デジタル大辞泉』「聞酒」酒を味わって品質・種類などを判断する「きく」の意味と、「聞酒・利酒」という表記について参照。→ コトバンク「聞き酒」


『精選版 日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』「利く」「能力や働きが十分に発揮される」「効能や効果が現れる」「判断する能力が働く」といった「利く・効く」の意味を参照。


文化庁文化審議会国語分科会「『異字同訓』の漢字の使い分け例(報告)」「聞く・聴く」および「効く・利く」の表記と使い分けを確認。


自然音と健康に関する研究

Fan, L. & Baharum, M. R. (2024). “The effect of exposure to natural sounds on stress reduction: a systematic review and meta-analysis.” Stress, 27(1), 2402519.自然音への曝露とストレス軽減との関係について、心拍数・血圧・呼吸数などの生理指標と、主観的ストレス等の研究結果を確認するために参照。DOI: 10.1080/10253890.2024.2402519

PubMed


Zhu, R., Yuan, L., Pan, Y., Wang, Y., Xiu, D. & Liu, W. (2024). “Effects of natural sound exposure on health recovery: A systematic review and meta-analysis.” Science of the Total Environment, 921, 171052.自然音への曝露と不安・心拍数・血圧・呼吸数などとの関連、および研究間の異質性や研究数の限界を確認するために参照。DOI: 10.1016/j.scitotenv.2024.171052

PubMed


音・自然・日本の音楽文化に関する資料

武満徹『樹の鏡、草原の鏡』新潮社、1975年。自然と音、音楽をめぐる武満徹の思索を参照。『武満徹著作集〔1〕 音、沈黙と測りあえるほどに ほか』(新潮社、2000年)にも収録されている。



あなた自身の名前も、一音ずつできています。


名前に含まれる最初の一音から、やまとことばの音義に触れてみたい方へ。

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