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大和言葉とは?意味・和語との違い・現代にも残る言葉をわかりやすく解説

「大和言葉って、昔の美しい日本語のことでしょうか?」


大和言葉についてお話ししていると、そんなふうに聞かれることがあります。


「たおやか」「うつろい」「たまゆら」「おもてなし」。


どこかやわらかく、日本らしい響きを持つ言葉を思い浮かべる方もいるかもしれません。

しかし、本来の「大和言葉」は、そうした特別に美しい言葉だけを指すものではありません。


日本の景色の移ろい「吉野の桜」
日本の景色の移ろい「吉野の桜」

私たちが毎日のように使っている、

「ことば」

「話す」

「あたたかい」


といった言葉も、すべて和語に分類されます。国立国語研究所も、日本語の語彙を語の由来によって「和語・漢語・外来語・混種語」などに分類し、和語を「日本固有の語」としています。


では、「大和言葉」とはいったい何なのでしょうか。


そして、このサイトで扱っている「やまとことば」は、一般にいう和語と何が同じで、どこからが独自の読み解きなのでしょうか。


まず、言葉の歴史から見ていきましょう。



大和言葉とは?――まず、一般的な意味から


現在、「大和言葉」という言葉は、一般的には「和語」とほぼ同じ意味で使われます。


『デジタル大辞泉』では、

日本固有の言葉。漢語・外来語に対していう。和語。

と説明されています。


国立国語研究所でも、日本語の語彙を大きく、

和語漢語外来語

などの「語種」に分けています。


たとえば、

「話す」「言葉」「暖かい」は和語。

「音楽」「国語」「報告」は漢語。

「ゲーム」「データ」などは外来語です。


つまり、大和言葉は古典の中だけに残された特別な言葉ではありません。

私たちは今も、大和言葉を使って毎日話しています。



漢字で書いてあったら、大和言葉ではない?


ここは、間違えやすいところかもしれません。

大和言葉と漢語の違いは、ひらがなで書くか、漢字で書くかという違いではありません。


たとえば、

「山」

という漢字を、

「やま」

と読むとき、この「やま」は和語です。


漢字そのものは中国から伝わった文字ですが、日本語として「やま」という言葉はもともと存在し、後から「山」という漢字を対応させました。


同じように、

「水(みず)」「空(そら)」「花(はな)」「心(こころ)」「見る(みる)」「聞く(きく)」

なども、漢字で表記できるからといって漢語になるわけではありません。


ここには、

「言葉」と「文字」は同じものではない

という大切なポイントがあります。


日本語は、もともと文字を持たない話し言葉として存在していました。その後、中国大陸で使われていた漢字を取り入れ、日本語を書くために用いるようになりました。国立国語研究所によれば、日本列島で漢字との接触が確認できるのは1世紀ごろ、日本の人名・地名を漢字で記す例が5世紀ごろに現れ、6〜7世紀になると漢字を読み書きする人々が増えていったとされています。

文字より先に、声で話されていた日本語があった。

大和言葉を考えるうえで、これはとても重要なことです。



実は「大和言葉」には、一つだけではない意味がある


もう一つ知っておきたいことがあります。

「大和言葉」という言葉そのものも、歴史の中でいつも同じ意味で使われてきたわけではありません。


『精選版 日本国語大辞典』を見ると、「大和言葉」には、

日本語そのものを外国語と区別していう場合、

漢語などに対する和語を指す場合、

さらに和歌や和歌に用いられる雅語を指す場合など、複数の用法が記録されています。『源氏物語』にも「やまとことば」が和歌に関係する意味で登場します。


つまり、

大和言葉=昔から現在まで、常に「漢語ではない日本固有語」だけを意味していた

と考えるのも正確ではありません。


現代の日本語学では「和語」という言葉を使う方が分類として明確ですが、「大和言葉」という言葉には、長い歴史の中で、日本語そのものや和歌、雅びな言葉などを指してきた広がりもあるのです。



大和言葉=「美しい日本語」なのか?


現在、「大和言葉」というと、

「美しい日本語」

「日本人らしい、やわらかな表現」

といった紹介を目にすることがあります。


たしかに、

「たそがれ」「木漏れ日」「まどろむ」「つつむ」「めぐる」

など、和語には私たちが美しいと感じる言葉がたくさんあります。


けれど、「美しいこと」は大和言葉の定義ではありません。


「食べる」も、

「歩く」も、

「寝る」も、

日常的な和語です。


したがって、

大和言葉=美しい昔の言葉

と理解してしまうと、大和言葉の世界をかえって狭くしてしまいます。


むしろ面白いのは、

私たちが今日も当たり前に使っている言葉の中に、長い時間を生き延びてきた日本語があることです。



では、大和言葉はいつからあるのか?


ここは慎重に考える必要があります。

大和言葉について、

「縄文時代から話されてきた言葉」

と説明されることがあります。


日本語という話し言葉が文字による記録より前から存在していたこと自体は間違いありません。日本語が文字を獲得する以前にも、人々は当然、声によってコミュニケーションを行っていました。


しかし、

現在知られている一つ一つの和語が、縄文時代から同じ音・同じ意味で使われていたと確認できるわけではありません。

文字記録が存在しない時代の言語は、後世の資料や比較言語学などから推定していくしかないからです。


『古事記』や『万葉集』は古代日本語を知るための重要な資料ですが、いずれも文字によって記録された8世紀前後の資料です。『万葉集』では、まだ平仮名・片仮名が成立する以前に、漢字を用いて日本語の音を表記していました。


したがって、

「この言葉は縄文時代から使われていた」

というところまで遡って主張する場合には、その言葉ごとに別の検証が必要です。


このサイトでも、確認できる歴史的事実と、そこから想像・考察できることは分けて扱いたいと考えています。




それでも、大和言葉には面白い世界がある


では、大和言葉を「和語です」と説明して終わりなのでしょうか。

私たちは、そうは考えていません。


ここからが、このサイトで「やまとことば」を探究している理由です。

言葉には、文字で表された「意味」があります。


けれどその前に、

言葉は「音」です。


「やま」と言う。

「みず」と言う。

「こころ」と言う。


漢字を見るより先に、人は息を吐き、喉を震わせ、舌や唇を動かして、その音を発します。

文字を持たなかった時代にも、言葉はまず身体から生まれる音として存在していました。

この事実に立ち返ってみると、大和言葉にはもう一つの入口が見えてきます。



一音までひらいて、ことばを見てみる


たとえば、

「ま」

という音があります。

日本語には、

「まこと(真・誠)」

「まさに(正に)」

「まる(丸)」

「間取り」

「間合い」

「束の間」

など、「ま」を含むさまざまな言葉があります。


私が学んできたやまとことばの音義では、こうした語例や発声・響きなどを重ねながら、「ま」という音に、

「真理」「時間・空間」

という働きを読みます。


しかし、現代の言語学において、

「ま」という音そのものには「真理・時間・空間」という意味がある

と学術的に認定されているわけではありません。


また、「真」「間」「丸」などの語が、歴史言語学上すべて同じ語源から生まれたと証明されている、という意味でもありません。


ここで行っているのは、やまとことばの「音義」という体系から音と語のつながりを読み解くことです。


一方で、「ま」を発音するときに上下の唇を閉じ、鼻にも息を通すという発声の仕組みは、音声学で「両唇鼻音」と説明できる観察可能な現象です。現在のサイトでも、この「発声として確認できること」と「音義として読み解くこと」を区別して紹介しています。

この二つを混ぜないことが、とても大切です。



「音には意味がある」のか?


言葉の音と意味の関係については、現代の言語学や心理学にも「音象徴」と呼ばれる研究領域があります。


特定の音から、大きさ、鋭さ、明るさ、動きなど、一定の印象を感じやすい現象が研究されています。


ただし、音象徴の研究が、そのまま「五十音一音一音には決まった音義がある」ことを証明しているわけではありません。


ここも分けて考える必要があります。

だからこそ、このサイトでは、

「科学が音義を証明した」

とは言いません。


その代わり、

日本語の発声は身体のどのような動きから生まれるのか。

同じ音を含む言葉には、どのような意味の重なりが見えるのか。

古い日本語の中では、その音はどのように使われてきたのか。

そこから何を読み取ることができるのか。

一つずつ確かめながら考えていきます。




大和言葉から、『古事記』へ


このように一音まで言葉をひらいていくと、私たちが大切にしているもう一つの世界へつながります。


それが『古事記』です。


『古事記』には、

天之御中主神 高御産巣日神 神産巣日神

をはじめ、現代の私たちには一度聞いただけでは意味の取りにくい、長い神々の名前が数多く登場します。


もちろん、それぞれの神名には、日本神話・古代史・国語学などから積み重ねられてきた研究があります。

その一方で、私たちはそれとは別の層として、神名を構成する音を一つずつ読み解いていきます。


たとえば、

アマノミナカヌシ

という響きを、


「アマ」「ミナカ」「ヌシ」

へひらき、さらに一音ずつ見ていく。


そこから古事記の世界を読み直してみる。

これは、

『古事記』を書いた人々が、必ずこの音義を意図して神名を作った

と歴史的事実として主張するものではありません。


音義という一つの読み解きの方法によって、『古事記』の世界を見つめ直す試みです。


この区別を保つことで、古典研究から学ぶことと、音義から考察することの両方を大切にできると私は考えています。




そして、最後に「自分の名前」へ


古事記の神々の名前も、

私たちの名前も、

声にすれば、一音一音の連なりです。

「まさこ」

「ゆきお」

「あきら」

文字で見れば漢字の意味があります。


しかし、誰かに呼ばれるとき、最初に届くのは文字ではありません。

音です。


私たちは、生まれたその日から、自分の名前という音を、家族や友人、先生、同僚、大切な人から何度も何度も呼ばれながら生きてきました。

そこで、名前を構成する音をもう一度ひらいて見つめてみる。


ただし、

「この音があるから、あなたはこういう人です」

と断定できるものではありません。


名前の音から見えてくるものと、その人が実際に歩んできた人生を重ねてみる。

すると、

「そういえば、昔からこういうことを大切にしてきた」

「なぜかいつも、この役割を担ってきた」

「欠点だと思っていたけれど、別の見方もできるかもしれない」

と、自分自身を違った角度から見つめられることがあります。

名前を人生の「答え」にするのではなく、

自分自身を知るための「問い」にする。

それが、私たちが「やまとことば姓名鑑定」で大切にしていることです。




大和言葉とは、過去の言葉ではない


大和言葉というと、遠い昔の日本を想像するかもしれません。

けれど、

「話す」

「見る」

「聞く」

「思う」

「こころ」

「いのち」

そんな言葉を、私たちは今日も使っています。


大和言葉は、博物館の中に残されている言葉ではありません。

私たちの口から、今も毎日のように生まれている言葉です。


まずは、その言葉がどこから来たのかを知る。

次に、その言葉がどのような音からできているのか、耳を澄ませてみる。

そして、その音を手がかりに、古事記や日本文化、さらには自分自身の名前まで見つめてみる。

辞書で「意味」を調べるだけでは見えなかった日本語の世界が、そこから少しずつひらいていきます。


やまとことばを知ることは、昔の日本語を知るだけではありません。


私たちが普段どのような言葉で世界を見ているのかを、もう一度見つめ直すことでもあるのです。


参考にした主な資料


本稿の「大和言葉・和語」の一般的な定義については『デジタル大辞泉』『精選版 日本国語大辞典』、国立国語研究所の語種分類を参照しています。「大和言葉」には和語だけでなく、日本語そのもの、和歌・雅語などを指した用例も辞書に記録されています。

日本語への漢字の受容、文字以前の日本語、『万葉集』の漢字表記については国立国語研究所「漢字はいつから日本にあるのですか。それまで文字はなかったのでしょうか」を参照しました。



大和言葉について、よくある質問


大和言葉と和語は同じですか?

現在では、「大和言葉」は一般に「和語」とほぼ同じ意味で使われます。漢語や外来語に対して、日本固有の言葉を指します。ただし、「大和言葉」という語は歴史上、日本語そのものや和歌・雅語などを指して使われた例もあります。


漢字で書かれている言葉は、大和言葉ではないのですか?

そうではありません。「山(やま)」「水(みず)」「心(こころ)」のように、漢字で表記していても、その読みである「やま」「みず」「こころ」は和語です。文字と、その言葉の由来は分けて考える必要があります。


大和言葉は縄文時代から使われていたのですか?

文字以前にも日本列島で話し言葉が使われていたことは当然ですが、現在知られている個々の大和言葉が縄文時代から同じ音・同じ意味で使われていたと確認できるわけではありません。文字資料のない時代の言語については慎重な検討が必要です。


大和言葉とは「美しい日本語」のことですか?

美しい響きを持つ大和言葉は数多くありますが、「美しいこと」は大和言葉の定義ではありません。「見る」「聞く」「食べる」「歩く」など、日常的な言葉も和語です。





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